サンフランシスコには、いくつの公園があるのだろうと、地図に顔を寄せて数えてみると、なんと90はある。
あまりに多くて数え間違えたかもしれない。
この町は、1849年ゴールドラッシュと呼ばれる時代に、黄金を掘り当てようと横断してきた人々の夢によって生まれた。
今では緑に恵まれた美しいこの町が、ほんの150年前までは、荒れ果てた砂丘だったことを、一体誰が想像できるだろうか。
その砂丘に1000エーカーにも及ぶ世界で最も大きな人造公園を作り上げたのは、庭師ジョーン マクレラン氏。
今回皆様にご紹介するのは、ゴールデンゲートパークです。
1846年スコットランド生まれのマクレラン氏は、カリフォルニアの銀行家 ジョージ ヘンリー ハワード氏の所有する6500エーカーの土地の造園師として、1870年渡米する。
以来、サンフランシスコが開拓され、町が太平洋側の砂丘地帯へ伸びていくのを見て、この砂丘をいつか緑の地にする夢を思いつく。そして1887年、ついにこの町から公園開発プロジェクトの挑戦を受けた。
初めの10年間をかけて、砂地を腐葉土に変え、後の40年間をかけて、絶えず吹き寄せる太平洋側の海岸からの砂をせきとめるための防砂提が作られた。今ではその防砂提が、海沿いをまっすぐ4km走るグレートハイウェイになっている。
この公園開発に当時の新聞は、「砂丘を花畑に変えようなど、かつてのゴールドラッシュの狂気に舞い戻っている。」と、懐疑的な意見も上げた。しかし、マクレラン氏は強固な意志でこれを無視。さらに、公園に関与しようとする政策や営利主義、あらゆる軋轢と戦い、こんな逸話も残されている。
ある会議で、公園内に市営鉄道を通そうとする市の計画図を見たマクレラン氏は、「あなた方の地図はまちがっている。この場所にはシャクナゲの木がすでに植えられている。」と抗議。
そして、市の役員が翌日現地視察をする、という前に、一夜にしてシャクナゲを植えてしまった。市の視察団もそのまばゆい美しさに計画を取り下げた、らしい。そうかと言うと、公園内を通る道路を氏自ら提案し、これも市はその提案のままに着工した、らしい。
マクレラン氏が厳格に守りぬいた公園の景勝は、氏の生まれ育ったスコットランドの懐かしい山々への思慕が作り上げたと言われている。西は海岸線から東に5km、南北の幅約800mの広大な庭園には、9つの池が作られ、百万本以上の木々が植えられ、虹色に花々が咲き、芝生は柔らかくみずみずしい。氏が半世紀もの時間をかけて実現させた夢が、このゴールデンゲートパークである。
今現在公園には、植物園、花の温室、美術館などがあり、乗馬、ゴルフ、テニス、アーチェリー、カヌー、ジョギング、サイクリングなどして、様々に楽しむ多くの人で賑わっている。週末に訪れる人は7万人を超えるらしい。
私の息子は、この公園でブランコをし、ボートを漕ぎ、砂遊びをして育った。そして、今この公園内の道(マクレラン氏が通しても良いと許可した道)は、息子の中学校への通学路となり、私は車で毎日送り迎えをしている。早朝、園内の樹林の中を走りぬける時に受ける、木漏れ日の恵み。マクレラン氏が後世に残された恩恵に、浴されている幸せを知る大切なひととき。
世界中から訪れる人々を魅了するゴールデンゲートパークでした。
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